なぜフリーランスのデザイナーになったかの経緯

 

社会との摩擦やいろいろの理由で
会社にこだわらない生き方を模索している
若い人・若くない人はたくさんいると思う。

僕はフリーランスのグラフィックデザイナーとして
生計を立てている。
(正確に言うと妻の収入に少し足している程度w)

なんでそうなったか経緯を書く。

大学に向いてない

僕の育った家は普通かそれより下の感じ。
とにかく教育にお金をかけない。
子供は雨後のタケノコのように勝手に育つと信じている。
放任が善だと信じている。

父親は仕事メインで基本的に家にいない。
母親は会社勤めの経験がなく、
「教育」や「勉強」や「キャリア」というものを
鑑みたことすらない。

そのせいで(と僕は思っている)
僕は大学名もロクに知らずに大学受験をし、
落ちないだろう大学に何も考えずに入った。

学部学科もラクそうなところを選んだ。
入ったらみんな僕と同じ頭の弱そうな人が多くて安心したwww

しかし実は根本的に違うところがたくさんあった。

 

  • 頭がユルいのは内部進学の人達。

家が裕福で将来に不安なさそう。

  • 他は実は1浪2浪の人達。大学をキャリアの出発点と考えて

人脈作りや資格の調査、就職につながる部活選びに精を出していた。

 

僕の家は貧乏。
僕は将来のことを考えていなかった。
漠然と会社に入って出世すると思っていた。
そこそこの対人恐怖があり、大学ではずっとひとりぼっち。
そして大学に行くことも週に1,2回になった。
そのままひとりぼっちで卒業した。

奨学金なりなんなりで無理矢理行ったのに
「大学の価値」はまったく享受できなかった。
人生にとっては重要な期間なので、行ったほうがいいと思うが。

 

就職活動に向いてない

大学3年生になると、大学から就職活動をせいと言われる。
そういうもんかと思う。

もちろんせっせと準備して就職活動をする。
しかしもちろんうまくいかない。

 

  • 志望動機とか自己PRとかが書けない。

そもそも志望してないし、PRするところもない。
なんとなく生きて、ひとりで他人と接触せず大学生活を送ったので
志望動機や自己PRの「雰囲気」がわからない。
例文なんか見ると、別の世界の言葉に見える。
だいたいよく読むとほとんど意味がない文ばかり。
企業はこれを見て何を審査するのか?
日本の採用習慣をまったく知らなかった僕にとって
無意味な文を無意味に量産する無意味な儀式に思えた。

確かに何の技能もない新卒を採用するなら
この作文の重要性が今ならわかるが、
当時はただひたすらな苦行だった。
なんせアピールするところもない。
企業がどんなところか知らない。
興味もないし、そもそも仕事したくない。

ちなみに今でも「普通の就活システム」はクソだと思っている。

 

  • やっぱり対人恐怖

これは個人的問題としてなんとも仕様がないが、
就活となると果てしなく緊張してしまう。
毎回の外出でエネルギーを使い果たし、
面接に行くころには玄関で座り込んで
いわゆる「ぶっち」(連絡無しドタキャン)を連発した。

周りが普通にこなしているように見える中で、
自分だけ普通ができない、就職できない気がして
精神的にそこそこ追いつめられた。

おかげさまで行った面接は数回。
どれも落ちてめでたく無い内定卒業です。

 


思いつきでデザインの世界へ

就職活動でこてんぱんにやられて
だらだらと寝て過ごしていた4年生の3月。

女性もそうかもしれないけど
自分が働けない人間だとわかった男はつらい。
世間は男に仕事と収入を求めているから。

気持ちはどん底、お酒で知らんぷりする毎日。

今となってはそれは実際は思い込みだと思っている。
自分でより良い生活の仕方ができるなら、「普通」には働かなくていい、
と今では思っている。(難しいけど)
しかし「普通」の価値観にどっぷりつかっている当時は
精神がどんぞこ。

なにかはしなくてはいけないと
専門か大学院に行くかと思いつく。

借金でもなんでもいいので
働ける糸口を見つけたいと思っていた。

そこで天から謎のワードが降ってきた。
「デザイン」

僕は絵もデザインも縁のない人生だった。
なんの情熱も無く思いつきでデザインの専門学校へ入学した。

たぶん、就職活動の「自己PR」にほとほと嫌気がさし、
自分のポートフォリオで就職活動ができる職業なら
なんでもよかったと思う。

入学したらひととおりの授業を受けて普通に卒業した。

学校でデザインなんて学べないとか聞くが、
やはり先生と自分の熱意によると思う。

現実問題として一番重要なのは
デザイン事務所に履歴書を送る口実ができるということだ。
学ぶデザインの善し悪しは、働かないとわからない。

そして普通に卒業とか書いたけど
もちろん就職活動をしてなかった。

卒業してから
だらだらとネットで求人見て
小さなデザイン事務所に拾ってもらった。

この業界は死ぬほど薄給だが、
その労働環境の悪さのために、慢性的な人手不足なのだ。

入るのは難しいことじゃなかった。


会社勤めに向いてない

そんなに多くの事務所を見たわけではないけど
デザイン事務所の典型的なパターンがある。

狭い部屋で数人で静かに黙々と作業して
1日に5回は偉い人の怒声が飛び
作業は深夜に及び、たまに朝まで。

現場にいるとすごいプレッシャーを感じた。
まったく無理だと思った。

  • 毎朝起きるのが無理
  • 狭い部屋に他人と長時間缶詰が無理
  • 怒声とかホント無理
  • 企業論というのか精神論も無理
  • 全員気が合わなくて無理

自分で作ったわけでもない
ポートフォリオを携えて数回転職し、
合計しても数年足らずで再就職のこころは折れた。

ネットでは毎日フリーランス事情を検索したが、
この業界はやはり実績がすべてなので
ポートフォリオさえ作ればなんとかなるのでは、と考えた。

生活費の不安はあったけど
極貧なら1年くらいなんとかなりそうだったので、
とりあえずフリーランスとしてやってみるかと思った。
ダメならバイトでもなんでもすればいいと。

 

そしてフリーランスに落ちた

実感としては、他にできることがなく
家で精神療養しながら内職している気分。

ネットにあるデザイナー関連の募集に応募して
在宅でわずかな小銭を稼いでいる。

最初は生活費のために派遣もした。
派遣でいろんな企業行けば、
いろんなデザイン学べてポートフォリオ増えるじゃん!と思ったし、
それはとってもいいアイデアだと思ったけど、
半年ほど経ったときフリーランス収入が「月に数万程度」になったので
派遣は結局数回しかやらなかった。

その後は特に進展もない。
ちっちゃな仕事を積み重ねて徹夜で小銭を稼いでいる。

僕のように計画性なくフリーランスになれば
いきなり目先のお金に困るので、
きっといろいろもがくハメになる。

もがけば月数万程度ならなんとかなるものだ。
自分に出来る事、出来ない事の程度で
事情は変わると思うけど。

こんな人間でも
もう少しまともな収入になるように
これからも休みながらもがいてみるつもりです。

 

 

 

経緯は以上。