デザインの勉強って?

私のすべての記事に言えることだが、

今回もまた読むに値しない。

 

私は紙もののグラフィックデザイナーという先のない仕事をしている。

 

デザインとは何か、というところを問うていけば、先のないなんてことは決してないのだが、そういったこととは無関係に現実にある仕事の単価は下がる一方、自分が年老いてなお仕事をもらえるかというと希望は薄い、そういう意味で暗い職業である。

 

これからデザイナーを目指す若い諸君に言うことはない。

人というのは、自分よりも後から来た者に対して説教を垂れたい性質があるらしく、3歳の親戚の子が、うちの息子2歳に対してあれこれ指示を出しては「あーだめだめ〜、ここは走っちゃだめだよ〜」とお兄さんな自分を親にアピールするが如く、ネット上も現実社会にも新参に対してのありがた迷惑なアドバイスが満ちている。それらを参照されたし。

 

私は仕事に誇りを持ってなどいないが、しかし作るからには良いもので満足してもらいたいのが人の心の常である。

 

そこで日々デザインというものと格闘しているのだが、さらなるステップアッピングを目指して、デザインの勉強をしたい。

 

どうするか?

 

それが問題である。

 

過去の私は、デザインを勉強しようとして、最初は哲学に走った。

デザインを知るには人間や自然の理解が必要だと踏んだのである。しかし、この世界というのは、あれを理解して、これに活かすというようにわかりやすくは出来ていない。哲学を含め学問は知識ではなく営みである。知ってどうという話ではない。無論、デザインも宇宙の仕組みのひとつであって、哲学が非常に重要なことは変わりないが、とにかくデザインスキルに対する即効性はなにひとつない。

 

 

人に聞いてよく言われるのは、一流のデザインを見て、一流の感性を養うというものである。

 

この物言いがとても胡散臭くて嫌いだが、一理はあるだろう。課題に対して他人がどういう解を示したか。この事例を自分のなかに溜め込んでいくことは、これからの作業をより深化させるであろう。特に初学者においては、モノマネレベルでもそれなりの形がつくれるようになるかもしれない。お得である。

 

しかしやはりデザインにはいろんな側面があり、他人の作った完成品ばかり見ていてもしょうがないのである。

 

例えば最近旅行関係の書籍をデザインして気付いたことがある。

私は旅行本を読みながら、ワクワクして旅の工程を夢想したり、注意点を読み込むというような経験がない。そんな人間が旅行本のデザインができるのだろうか?デザインに向き合えているのだろうか、と。

 

無論、旅はする。旅の情報も集める。旅程を楽しもうとする。最低限、旅行本に相対する資格はあると信じたい。

 

やはり豊かなデザインの源泉は生活なのである。

アメリカのデザイン思想の影響が強い日本においては、ことさらマーケティングや商業的付加価値としてのデザインが強調され、デザイナー自身も商業の中にデザインを置いていることが多い。が、根源的にはデザインは人と外界との化学反応であり、生活そのものの創造性ではないのか。

 

もちろんこれに対して今後も格闘していくのだが、仮にそうだとして、デザイナーはどうすべきかというと、やはり先人達の残した仕事を足がかりに、生活を真摯に見つめるしかないだろう。試行錯誤によって良い解決を探ることになる。

 

で、どうしよう。

 

それはそうと、飛行機はかっこええなあ

 

 

747 ジャンボ物語 (キャンブックス)

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