ABC予想で話題になった数学者の方のブログに非常に興味をそそられた話
下記のブログが非常に興味深い。
第68回NHK紅白歌合戦の感想と、数学(あるいは一生の「認識状態歴」の可能性(!))の有限性 | 新一の「心の一票」 - 楽天ブログ
私が常々ぼんやりと考えていたことと
似たことが書かれている気がする。
上記ブログ記事の「まず、話はがらっと変わりますが」以降の文である。
つまり、「数学」を完全に記録し、伝達するには論文(=PDFファイル)だけでは不十分であり、どこかに
「抜け落ちている情報」が
あるのではないか、
と強く感じております。
とある。
そしてブログ主はその抜け落ちている情報が忠実に表現されている可能性があるように感じる別系統の媒体として、アイドルの歌や芸術をあげている点が非常に興味深い。
もちろん難しいことはわからないが、
私が昔考えていた
- 「学問より、随筆のほうが真実を書けるのではないか?」
- 「芸術は学問が記述出来ないものを表現できているのではないか?」
- 「あらゆる学問を突き詰めると精神の問題なのではないか?」
といったような問題と似た問題意識なのではないかと思うのだ。
数学者の岡潔が言っていた「数学は情緒の学問」といった発言とも近しいところだと思う。
私の考えについて話すと、
これらはその言葉通りに科学の記述可能性についてを話題にしたいのではないと思う。
これらの問題意識が表れるのはひとつの直感をびんびんに感じているからであって、
その直感というのは「宇宙の摂理と精神の関係」についてである。
宇宙が解明の魅力的な対象であるのと全く同様に精神も解明対象であって、
芸術にはそれがうまく統合・説明されているフシを感じるのである。
直感である。
しかし多くの学者や芸術家が共有していて、歴史上何度も出てくる
非常に重要なインスピレーションである。
このあたりの議論が進めば、あらゆる学問がスムーズに横につながる可能性を感じる。
(理と文とか、物理と哲学とか、仲悪そうというのは気のせいでしょうか。本来相容れないものではない、というのは共通理解があるようですが)
精神の問題は、数学や物理では扱えないのではなく、まだその域に達していないだけと見える。
上記の直感に関する問題の解明が進めば、ついにその域に達するのではないかと思うのである。
芸術家が常に問題にしてきたことでもあるし、誰もが日常で経験しているありふれたことかもしれない。
それは宇宙の摂理の一部か全部であって、
それの解明はあらゆる学問の向かう先であるし、
また我々自身の生命活動の根本的な話題なのではないかという気がしているのである。
ヘーゲルか誰かが言っていた
「あらゆる学問の究極的問題は精神がどこから来てどこへ行くのかという点である」(うろ覚え)という話題に直結している。
もれなくデザインも、宇宙の謎に挑戦する作業なのである。
しかし自分のこの話題の説明の拙さを見るに、まったくうまく捉えられていない。
もう少しお勉強が必要である。
本当はもっと書きたいことがたくさんあったはずなのだ。
上記ブログ主の研究しているという
「宇宙際タイヒミューラー理論」は、このあたりの進歩になると感じる。
私がそれを理解する日は来ないだろうが、人類のより良い発展のために密かに応援しているのである。