上司と部下のみぞみぞを聞いた

聞いた話だが、知り合いが部下との仕事上の付き合いにほとほと呆れている様子であった。その話を聞きながらひとつまた人生の難しいところを感じていたのだが、もちろん僕は上司や部下のあるべき論や、あるいは仕事が私生活にどれだけ優先するかというようなことには口を出すつもりはないが、、、


具体的にはたとえば、部下が仕事上のミスを犯し、上司である僕は方々に謝罪を入れながら時間的猶予を得、部下が進めているデータなり原稿なりをさっさと仕上げてもらわねばならない。時間的猶予といっても数日である。誰がどう頑張っても2徹夜は間違いない。


ここまでで、自分が上司であれば、あるいは部下であればどう思うだろうか。


冒頭の話にでてきた部下は、徹夜を強制はできませんよね、と言いたげに帰ろうとしたようである。そして業務がつらいと、やめたいとほのめかしたようである。上司は確かに胸にこみ上げた思いを素直に口にしてしまうと、社会通念上ハラスメントと言われても仕方ないため、フラストレーションをためているようである。


ここでの不幸は、部下はつらくてもやめられないと思っていて、上司はやめたければやめてくれと思っているがクビにはできないところだろう。確かに全国津々浦々よくある話だが、意外と現場は毎度ごたつくようである。というのも毎回主人公となる部下は特徴的な人間で、伝説を作るため、毎回新鮮な驚きがあるからだろう。


ちょっと一回寝ようかな



悩めるお母さんを見て

子の育て方というようなものは、親から子へ、社会から個人へと受け継がれていくものと見せかけて、実のところ充分に発達した社会が持つ子育て情報のプールというようなものは、思いの外たまっておらず、個々の、現場の親のその場の判断に委ねられてる割合がいまだ非常に大きいのではないかと思い至ったのである。表現が下手なのでもう一度少し違う言い方をすると、例えば確立された療法のような、確かな積み重ねによる方法論の容易アクセス可能な蓄積が、意外にないのではないか、ということである。それはそうとイカレポンチとはどういう言葉なのか