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子供の成長は遅ければ遅いほど良い

ちらほらと、小さい子を持つ人間が周りに増え、その日々の悲喜を耳にする機会も増えてきた。親が子に対する愛のあまり、あらゆることが心配となり、胸のうちにつかえを抱えるのを見ると、こちらも切ない気持ちに吹かれるわけだが、だからといって何することもない。他人の子などというものは未知の未知である。


というわけでこの場でひとつ、ごく個人的な法則をひとつ。

それは、乳児のころの成長は遅ければ遅いほど良いということだ。もちろん人それぞれ早い遅いに良し悪しなどあるべうもないが、遅いほうが僕は好ましいという話である。


おそらく早いほど獣に近づき、遅いほど放蕩に近づくというような傾向がある。どちらがより好ましいかとい話である。ちなみにこれらのいずれかを他人が決めることはできない。あくまで子自身が枝の伸ばす方向へ手助けするのみである。そしてたいがい親も同じ道を辿ってきている。


精神の発達がどのようなものであれ、意思は常になんらかの働きをしている。我々が見る子の発達というようなものはそのうち確かに目に見えたものだけであって、花が咲かないからと言って根は弱いかといえば、そんなことはわかるわけがないのである。なんにせよ情の深化よりも行動の高度化が先んずるときには、それは動物に見えてしまうのである。これは全年齢に言えることである。


同様に遅いからといって、それはまるでスロー再生のように、あらゆる神経の伝達がゆったりとしているなんてことはあるはずがない。梅の並木の色づきと同様、目に見えたタイミングである。遅い梅の貧弱たるからではない。


意思の満足が心身の内々にあるということは、趣を知ることにつながる。これがすぎれば放蕩の道を歩むことになるのだろう。


まあとにかく成長は早くても遅くても変わらないということである。