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昔の暮らしはつらいのか?

日本で生活する日本人が日々の鬱憤のために時折漏れる現代社会への恨み節、ここがへんだよ現代日本、と同時に他方から聞こえてくる現代日本での生活の幸福度の高さの強調。

最初に言っておくが暮らしの比較はできない。まして時代を隔てた幸福の比較などあまり意味をなさない。これは生活者そのものが時代や環境に対して不変ではなく、その時々の周辺関係によって生活者も形作られているからだ。

乳幼児死亡率が5割を超えている時代と場所には不幸な人間しかいないと考えるのはナンセンスだ。同様に虫歯や飢餓の虞があまりない社会に生きている人間が皆幸福だとは言えない。

その上で現在の暮らしに辟易し、過去の暮らしに憧憬を抱くのは有意義なはずである。なぜなら我々が作り出す暮らしというものは常に未来であって、それは人間を真摯に見つめることで初めて理解でき、現代社会だけを考慮に入れてもダメなのである。

会社が嫌だ、人間関係が嫌だ、毎朝起きるのが嫌だ、親が嫌だ、学校が嫌だ、お金が嫌だ、こういったものがなかった時代に生きたい、といった願望は至極真っ当で素直なものである。そこで過去には過去のつらさがあると言うのはナンセンスである。それを言われた側は、つまるところ生きる世界はどこも嫌なものに見えるだろう。あまりに苦痛を感じるものを我慢する必要はない。歴史に、あるいは随筆に、あるいは詩に、あるいは学問に、日々のどこかに自分の求める生活のヒントがあるのである。それがすでに暮らすということの訓練に他ならない。

本当は縄文の暮らしについて語りたかったのだが、脱線した上に時間切れである。