自分が40とか50になって、まだ父親が生きているってどんなだろ

僕はあんまりテレビを見るほうではない。

が、会社をやめて家で過ごす時間が増えてくると、やはり視聴時間は増えてくる。

 

それとは関係ないが、今まで興味が持てなかったいわゆる「くだらないテレビ番組」を面白いというか感情移入してみれるようになった。理由はわからない。

 

以上2つのことが重なって今世間ではイケイケなのか?わからないが香取慎吾くんがでているテレビ番組(ドラマ)をほぼ毎週見ている。録画してチマチマ空き時間に少しずつだコノヤロウ。

 

というのも、日本国民の父こと西田敏行がドラマ内で余命幾ばくもないと告白したのだ。思いのほかうろたえる息子こと香取慎吾である。そんな馬鹿な、僕なら喜んじゃうね、やっぱりテレビだな、と思っていたが、昨日風呂に入っているときに気付いたが、僕自身も父親が他界していた。(今思い出したがドラマ名は「家族のカタチ」であったと思う)

 

高校2年生の冬、僕16歳(か17か18)であった。

今は自分が父親になってしまった。

あの世にいけば息子に喜ばれる側である。別に悪い気はしないが、その後の妻が大変そうでがんばらネバダと思うのだが、確かに良く考えると僕の父親も最後は残される家族の心配をしたのだろうかという疑問がでてきた。しなかったことはないだろう。

 

しかし僕は同時にこうも思う「案外僕がいなくなったほうが妻の心配事は減って、僕の気苦労も減って(?)いいことなのかもしれない」

 

ということは僕の父親も似たことを考えたかもしれない。

「息子と娘が大学にいくお金をどうするんだ!自分と妻の老後は!母の面倒は!おっと、お迎えだ!さよならバイビー!ヤッホウ」

 

他人の考えなどはわかる由もないが、高校生だったときの僕はどう思ったかは思い出せるはずだ。もはや10年前の自分など、ほとんど他人だが思い出せることもあるだろう。

 

まず父親から先が長くないことを聞かされたとき。僕はとても喜んだ。

地理の授業中、病院から臨終の連絡がきたとき、僕は喜んだ。

春がきたようである。高校の玄関口をでて、午後の日差しを受け、まぶしさに眉をひそめる僕の口元は確かに緩んでいた。暖かく、みどりの鳥がさえずるような木漏れ日であった。そんな1月であった。

 

思い出せることは以上だ。

 

その後の僕は、放蕩に近い生活を送っている。そして墓参りに行く度に、「父ちゃん、おれ、なんとかするから!なんとかがんばるから!」とばかり心の中で思っている。そしてことあるごとに、「父親が生きていたら、なんて言われるだろう」とビビるのである。余談であるが、今「父親」と打とうとして「乳屋」とミスタイプした。しかしそう見当違いのミスとも言えないのである。ちなみに売るのではなく、買うほうである。

 

僕はよく精神がどこからきて、どこへいく何者なのかを考える。

今ここであまり広大な話をするつもりはないが、少なくともあらゆる生命は、自ずから生じるのではなく、必ず別の個体より生まれる。生命は、必ず社会や間柄に関係する。であれば、祖先の存在は前提である。

 

西田敏行のひとことから思ったことである。

四ッ谷雑感

最近四ッ谷界隈に出没するのだが、やはり来たことの少ない町を歩くのは楽しい気持ちのするもので、ここ数日の妙にぽっかりとした陽気の中では、もはや足をとめるものもなく、ただひたすらにひとびと、あるいは建物なのか空なのか、そういったもの共の有り様動き様を楽しみ流し、気が付けばここは麹町、あるいは半蔵門、またあるいは市ヶ谷へとふらふらしてしまうのである。


ところで四ッ谷のアトレには喫煙所がある。屋内の。そこの腰掛けはレールであった。


四ッ谷駅のすぐ近く、地下に入ったところに船宿というこじんまりとした居酒屋があり、大将がひとりでランチ営業を回していた。比較的に大きめのテーブルが3つにカウンターが3席、木目や瓦の見える作りではあるが4組ほどの客が入れば次は待ってもらおうかというほどの規模である。名の通り魚を出すようで、とにかく昼に関しては、さっぱりあっけらかんとした海鮮丼ひとつである。どうということはない。不思議な強い存在感をもつ大将の見た目をだましてでてくる優しげな言葉とでも言えばわかるような海鮮丼である。今週だけで2回いきますた

子供の成長は遅ければ遅いほど良い

ちらほらと、小さい子を持つ人間が周りに増え、その日々の悲喜を耳にする機会も増えてきた。親が子に対する愛のあまり、あらゆることが心配となり、胸のうちにつかえを抱えるのを見ると、こちらも切ない気持ちに吹かれるわけだが、だからといって何することもない。他人の子などというものは未知の未知である。


というわけでこの場でひとつ、ごく個人的な法則をひとつ。

それは、乳児のころの成長は遅ければ遅いほど良いということだ。もちろん人それぞれ早い遅いに良し悪しなどあるべうもないが、遅いほうが僕は好ましいという話である。


おそらく早いほど獣に近づき、遅いほど放蕩に近づくというような傾向がある。どちらがより好ましいかとい話である。ちなみにこれらのいずれかを他人が決めることはできない。あくまで子自身が枝の伸ばす方向へ手助けするのみである。そしてたいがい親も同じ道を辿ってきている。


精神の発達がどのようなものであれ、意思は常になんらかの働きをしている。我々が見る子の発達というようなものはそのうち確かに目に見えたものだけであって、花が咲かないからと言って根は弱いかといえば、そんなことはわかるわけがないのである。なんにせよ情の深化よりも行動の高度化が先んずるときには、それは動物に見えてしまうのである。これは全年齢に言えることである。


同様に遅いからといって、それはまるでスロー再生のように、あらゆる神経の伝達がゆったりとしているなんてことはあるはずがない。梅の並木の色づきと同様、目に見えたタイミングである。遅い梅の貧弱たるからではない。


意思の満足が心身の内々にあるということは、趣を知ることにつながる。これがすぎれば放蕩の道を歩むことになるのだろう。


まあとにかく成長は早くても遅くても変わらないということである。

自営業開業で失業保険を得た体験談

この労働乱世、どういう経緯か知らぬがフリーランスになろうという若者は少なくないだろう。かくいう私も企業社会になじめず、はじき出され、どうにかひとりで生計を立てれぬかと試行錯誤している真っ最中である。ちなみに今のところ絶望的である。しかし僕は会社クソくらえ精神の若者を味方したい。勝手に親近感がわくからだ。もしうまく事業がまわった暁には僕に仕事をくれたまえ。デザインと名のつくものはなんでもこいである。


短い会社員時代、保険や年金に隠れてコッソリ払っていた雇用保険、これが今の生活をつないでくれている。ちなみに僕は妻子持ちである。


自営業開業では、失業保険のうちの再就職手当がもらえた。この経緯を以下に述べていくが、もしこれからもらおうとする場合には気をつけなければならないことがある。


それは手当の申請は、はやまってはならない期間があるということだ。この期間にやらかすと手当はもらえない。ちなみに手当の申請中は、開業しようとする意志、開業の準備も、開業と同等とみなされる。そのためこの期間に自営業用の設備投資や広告行為をすると手当はお預けである。あくまでその期間がすぎるまでは就職しようとするピュアな心でいなければならない。その期間について詳細は以下で述べる。


さて、会社をやめると離職票が郵送されてきた。これと写真を持って、僕は居住地から最も近いハローワーク府中へ持っていった。写真はなるべく持って行こう。後で提出するというのはなんだか面倒くさそうだった。まずは入ってすぐ右の総合受付へゴーだ。すると勝手に失業保険の申請ということになる。対人恐怖症の僕にしてみると、こう話が勝手に進むのは有難い。みんないい人そうだ。会社もこんな人たちだらけであったら、僕は辞めずにすんだだろう。ここで一度練習に、パソコンを使って求人票を出してみようと言われ、それは次のステップで必要になると言われる。すぐできるので試しにやってみるといいが、実際のところしなくても問題ない。


ここまできたら半分はもらったようなもんである。


丁寧に今後のスケジュールを説明されその通りにする。具体的には翌週に説明会。これはハローワークを使って就職する方法を1時間程度聞き流すものだ。思いの外満席でビックリだが誰とも話す必要はない。安心安心。オススメは壁際か窓際の席である。


そしてその翌週にもまたなんだか説明会である。今度は2時間。ここでは失業保険のお話しである。ここでも誰とも話す必要はない。安心安心。意外だったのは僕以外ほとんどの人が35歳以上だったことだ。みんないろんな人生があるのだなあと思った。


次はそこから二週間後、認定日というものである。とにかくハローワークに行かねばならない。ここまでに求職しようとした実績が1回必要であると言われるが、先のなんたら説明会が実績に含まれるというので自動的にクリアである。この辺りは各ハローワークによって違うようである。とにかく、あっ!と言う間に終わりである。


さて、再就職手当を頂こか、と思うがそうもいかない。最初にハローワークに行ってから約1ヶ月間は、ハローワークを通じた就職しか再就職手当に該当しないのだ。ピュアに就職を目指す身としてはここでもハローワークにて求職活動をするのだが、ここらあたりからムズムズと自営もしてみよかなどうかな?と思い始めるのだ。しかしこの期間は待たねばならぬ。


晴れてこの期間がすぎれば、おや!突然自営業開業の意志が轟々とぉ〜やってきてもいーのである。ハローワークに行き、再就職手当申請届をもらって、某書類とともにそれらをハローワークに提出してあとは待つのみである。


某書類というのが曲者である。これは事業が1年を越えて存続できることを確認できるものとある。が、そんなものは存在しない。聞いたところ、不正に手当を受給しようとする輩を排除するためにか、事業の実態があることを確認したいようなのだ。


ごねれば開業届だけでもいけそうな雰囲気はなくなかった。非推奨。

仕事を受けるためにクライアントに実績を紹介するポートフォリオでも良いと言われた。

開業にあたってのオフィスの契約書でも良さそうだった。

業務上の契約書が一番良さそうだった。


僕はもちろん仕事なんか来そうにないが、不正をする気はなく、ちゃんと存続させてみせます!という気合いだけではもちろんダメそうなので、素直にいくつか書類を用意して提出しますた。噂によるとこのあたりのやり取りは郵送でもいけるらしいゾ。


もっと「いやいやこんなんじゃ手当はやれねーぜ坊や」みたいなことを言われるのではないかと思っていたが、とても親切にテキパキとすんなり話は通ったので、ピュアな僕は安心しました。有難く自営業に精を出します!日々営業に勤しんでおります!有難くお仕事ください!


と、いろいろな提出が終われば、意外と早く受給決定のお知らせが郵送で届いた。辞める直前6カ月の給料によるが、僕の場合30万弱。有難い。


こうして企業で働く人がいなくなってフリーばかりになるのを祈るばかりである(?)

昔の暮らしはつらいのか?

日本で生活する日本人が日々の鬱憤のために時折漏れる現代社会への恨み節、ここがへんだよ現代日本、と同時に他方から聞こえてくる現代日本での生活の幸福度の高さの強調。

最初に言っておくが暮らしの比較はできない。まして時代を隔てた幸福の比較などあまり意味をなさない。これは生活者そのものが時代や環境に対して不変ではなく、その時々の周辺関係によって生活者も形作られているからだ。

乳幼児死亡率が5割を超えている時代と場所には不幸な人間しかいないと考えるのはナンセンスだ。同様に虫歯や飢餓の虞があまりない社会に生きている人間が皆幸福だとは言えない。

その上で現在の暮らしに辟易し、過去の暮らしに憧憬を抱くのは有意義なはずである。なぜなら我々が作り出す暮らしというものは常に未来であって、それは人間を真摯に見つめることで初めて理解でき、現代社会だけを考慮に入れてもダメなのである。

会社が嫌だ、人間関係が嫌だ、毎朝起きるのが嫌だ、親が嫌だ、学校が嫌だ、お金が嫌だ、こういったものがなかった時代に生きたい、といった願望は至極真っ当で素直なものである。そこで過去には過去のつらさがあると言うのはナンセンスである。それを言われた側は、つまるところ生きる世界はどこも嫌なものに見えるだろう。あまりに苦痛を感じるものを我慢する必要はない。歴史に、あるいは随筆に、あるいは詩に、あるいは学問に、日々のどこかに自分の求める生活のヒントがあるのである。それがすでに暮らすということの訓練に他ならない。

本当は縄文の暮らしについて語りたかったのだが、脱線した上に時間切れである。

家事育児の分担などクソくらえ

育児の分担などについてのネット上の文章を見ると、これもまた流行り廃りがあるのだなというのを実感する。


「家事育児に理解のある僕は褒められると思っていた(実際は褒められなかったというか怒られた)」


「家事育児の大変さが理解できない夫にどう理解させるか、させた方法」


など。

これらについてとやかく言うつもりはない、というのも家庭によって様々であろうからだ。


しかし、家事育児に関心を示さない男は須らく批難されるべきなのか?というと、同様にこれも一概にならない。なぜならそれはもはや思想や宗教の域の問題だからだ。また場合によってはそのほうが楽な奥さんもいるだろう(トンチンカンな上に積極的なものもまた難儀なものである)


もしまだ結婚していない日本女性ならば、決して「家事育児は男性も協力して当たり前」という風潮を鵜呑みにしてはいけない。これを額面通りに記憶していると長い夫婦生活、あるいは結婚そのものに支障を来してしまうかもしれない。


なぜか。

前提として幸せは日常生活の中にあるのである。人は日常から出られはしない。もし毎日の家事が苦痛であれば、苦痛な人生と言っても言い過ぎではない。


長時間労働が当然のものとなってきている中で無視されがちであるが、そもそも家事は最初から過酷なものである。家の保守、維持、清潔に保つこと、これらは文化的生活を支える基礎でありながら、これを労働とみなした場合には相当な労苦となる。食事ももちろん、衣服やあらゆる品の補修維持もまた然りである。家事をひとりでこなそうとすれば、現代においても1日24時間では足りない。


また育児もである。

これも拷問として見れば相当なものである。最初から大変なのはわかりきっている。(世の男性がどこまで実感として理解しているかはあまり期待できないかもしれないが)


ここまでの話では、生きることそのものが苦痛かのようだが、実際そういうところもあるかもしれない、が実のところそうではない。家事育児は労働ではないからだ。やりたくないことを金銭のためにやらされているのではない。貧乏のために苦労してするものでもない。権力のないために強制されるものでもない。


実際、家事育児そのものが生きる喜びのうちのひとつなのだ。あるいはそこに生きる上での煌めきを見つけなければならぬ。でなければみじめな人生を送ることになるだろう。生きるために家事をするのか、家事をすることが生きることなのか、どちらかに断言はできぬのである。そして夫婦で、それらを前提として、幸福な生活についてよく話し合うべきである。それは決して平日を犠牲にして休日にすべてを忘れるようなものではないだろう。そして心に留めておくべきは、幸福の様式は、その人の教養と経験と心の有り様で変化するものであるということだ。10代には10代の、60代には60代の幸福がある。ひとりの一生に対して、決して不変ではない。


こうしてみると、家事育児を処理されるべきタスクと考え、それを構成員で公平に分配するという考えが、いかにバカげているかわかるだろう。幸福な人生とは遠いところにある。


それをわかった上で旦那に押し付けるべき。押し付けるベッキー


上司と部下のみぞみぞを聞いた

聞いた話だが、知り合いが部下との仕事上の付き合いにほとほと呆れている様子であった。その話を聞きながらひとつまた人生の難しいところを感じていたのだが、もちろん僕は上司や部下のあるべき論や、あるいは仕事が私生活にどれだけ優先するかというようなことには口を出すつもりはないが、、、


具体的にはたとえば、部下が仕事上のミスを犯し、上司である僕は方々に謝罪を入れながら時間的猶予を得、部下が進めているデータなり原稿なりをさっさと仕上げてもらわねばならない。時間的猶予といっても数日である。誰がどう頑張っても2徹夜は間違いない。


ここまでで、自分が上司であれば、あるいは部下であればどう思うだろうか。


冒頭の話にでてきた部下は、徹夜を強制はできませんよね、と言いたげに帰ろうとしたようである。そして業務がつらいと、やめたいとほのめかしたようである。上司は確かに胸にこみ上げた思いを素直に口にしてしまうと、社会通念上ハラスメントと言われても仕方ないため、フラストレーションをためているようである。


ここでの不幸は、部下はつらくてもやめられないと思っていて、上司はやめたければやめてくれと思っているがクビにはできないところだろう。確かに全国津々浦々よくある話だが、意外と現場は毎度ごたつくようである。というのも毎回主人公となる部下は特徴的な人間で、伝説を作るため、毎回新鮮な驚きがあるからだろう。


ちょっと一回寝ようかな